食育

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「パン給食」

   アメリカのパン食へのキャンペーンにより、確実に人々の間に浸透していったのです。それが、いかに浸透していったかの例を、酒井さんは紹介しています。それは、昭和33年(1958年)の朝日新聞連載漫画「サザエさん」の一コマです。夕食の食卓を囲んで、フネが波平にご飯のお代わりの盆を差し出しながら、「アラ、たった1ぜん?」と問いかけるのに対し、波平は「いらない。米食は長生きしないらしい」と答えている場面

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「力を合わせ、助け合う心」(3・4・5歳児幼児組)

 夏が過ぎ、少しだけ過ごしやすい季節になってきました。園庭ではプールがなくなり、元気に鬼ごっこをしたり運動に取り組む子どもたちの姿が見られています。気付けば秋になり、また一つの季節を越えて成長した子どもたち。つい最近、遊んでいるところで素敵な姿が見られました。 幼児組の室内で積み木で遊んでいた子たちが、立体的な建物を作っていました。建物はどんどんどんどん、あっという間に子どもたちの高さまで積み上が

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「アメリカの戦略???」

    園での給食には9割がた、ご飯が出ます。しかも、栄養価の高い玄米の部突き米です。秋田の農家から直接、玄米のまま送ってもらい、それを園の精米機で精米します。精米したてのお米はそうでないものと比べて格段においしく、それを園の子ども達はよく分かっていて、おかわりも良くします。また、よりお米に興味を持ち、その栽培の大変さや難しさを少しでも分かってもらうために、秋田の同じ品種の種もみを送ってもらい、苗

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「食育へ」

 学校給食は、昭和29年6月3日、学校給食法が制定されました。ここで注目すべきは、当時の文部大臣による学校給食法案の提案理由説明に「小学校等において、その教育の一環として学校給食が適正に実施されるということは、とりもなおさず、児童がみずからの体験を通して、望ましい日常の食生活の営みを学びとることであって、学校給食が児童の現在及び将来の生活を幸福にする所以であり、教育的に実施される学校給食の意義はま

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「給食の影響」

4月当初、1歳児で主食のお米を食べられない子がいました。理由はたぶん(1歳児なので観察のみ)ご飯には濃い味付けが付けられていないからです。その証拠に、お味噌汁の中にご飯を入れて食べていたり、パンが出る時には、バターやジャムがぬってあり、食べやすくなっているからです。 そこで職員の中で、どのようにしたらお米だけでもおいしく食べるようになるのかという話し合いが持たれました。一口ずつ大人が食べさせたり、

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「EUの理科離れの取り組み」

アメリカだけでなく、EUも理科離れの現状を危惧して、2001 年に「Science and Society Action Plan」を策定して、三つの基本的政策を提示しました。その1は、「科学技術という文化を欧州に育成すること」そして、「科学技術を市民にとって身近なものにすること」3つ目に「政策決定に科学の知識を活用すること」という内容です。このようなことを提示したのは、次のような認識があったか

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「教科書の理科からの脱皮」

幼児組では昨年より「サイエンス」という時間があります。月に1度か2度、朝のお集まりの前のほんの10分ぐらいの時間を使って、理科や科学のお話しや実験をする時間として設けています。 今年4月に行った実験ではペットボトルに入浴剤を入れて、ロケットを飛ばす実験を行いました。子ども達は「このロケットが本当に飛ぶのか」と期待と不安でその時を待ちます。そして、カウントダウン!3・2・1「発射」の合図と共にロ

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「本当に嫌い?」

日本の若者が、どうして、こんなに理科や数学が嫌いになってしまったのでしょうか?どうも、若者の間での理系のイメージが悪いようですし、理系は文系より不遇という社会的通念の存在があるようです。今回のノーベル賞受賞で、少しはイメージが良くなり、それを目指す子どもたちが増えるといいのですが。そして、日本がとるべき理科離れ対策で欠かせない点として次のようなことがあげられます。それは、すべての国民の科学技術リ

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「科学離れ」

幼児のお部屋で観葉植物にお水をあげていると、3歳か4歳の子が決まって「何しているの?」っと集まってきます。園「葉っぱさんにお水をあげているんだよ」。子「どうして?」。園「みんなもお腹がすくでしょう?葉っぱもお腹がすくから、お水をあげるんだよ」。このようなやり取りをしていると、年長児がやってきて「そうだよ!ご飯は食べられないからね」っと何年か前にやり取りをしたことを覚えているのだなという発言をしま

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「レーヴェンの陶冶」プログラム」

レーヴェンの提案は、「大人が子どもに“何かをもたらす”ことができるという考え方には別れを告げなければならない」ということでした。教育という考え方からでは、子どもを粘土のように「形づくる」ことは、そもそも不可能なのです。ただし、世界の習得という陶冶の過程においては、教育によって初めて成立するのです。ですから、教育は、子どもが獲得する世界像の在り方に直接影響を与えることはできないし、陶冶過程に直接作

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