コミュニケーションにおいて「間」が重要な役割を果たしていることが、研究から分かっていました。さらに、赤ちゃんの実験では、赤ちゃんが見るお母さんの映像を、過去に記録していたビデオに切り替えると、やはり注視時間が短くなることが分かりました。この場合は、お母さんの映像は、時差があるだけでなく、赤ちゃんの反応にまったく呼応していないそうです。それについて、藤井さんは、赤ちゃんがモニターを見るのは、モニターを通じて赤ちゃんとお母さんとの間に、「あー」と言えば「うー」のような即時的かつ双方向的なコミュニケーションが成立しているからなのだと考えているようです。
やはり、コミュニケーションには、ライブ感が必要なようです。それは、コミュニケーションを成立させるためには、双方の時間の流れが同期していないといけないということを示しているのです。特に、親子の場合とか、赤ちゃんに対しては大人同士と違い、いったん途切れた時間の流れを意識的につなげることができないようなのです。と言うことは、脳科学的にいうと、他者とのコミュニケーションは、同期したリアルタイムの時間で行うということが、脳の中での前提条件となっているようなのです。もともと、人類が社会を形成し、他者とのコミュニケーションをとる場合、自然環境の中では、時差のある会話を行われることは、ほとんどないわけですから、当然、人類が得てきた当たり前の機能だということです。
もし、現代の私たちが、時差を持ってコミュニケーションをとっても理解できるとしたら、その能力は生後獲得されるもので、認知的に高度な処理を必要とすると考えられています。この認知的な処理とは、時差を生じさせる間の悪さを間の悪さととらえず、時系列的に断絶した情報を、自分自身の時系列に再度並べ直して理解するという作業になるであろうと藤井さんは言います。そのコミュニケーションは、実時間で行われるモノと異なる種類のコミュニケーションになるのではないかと思っているようです。
たとえば、こんな例を挙げています。ふたりが対話している様子を録音して、それを音声で聞くと、両者の間で交換される情報の内容は明確で間違えようがないのです。しかし、その対話を文字に起こすと、意味が変わってきます。音声では完璧に意味が通っていたはずの会話が、まったく意味が通らなくなることも多いのです。最近の原稿は、対話を文字に表したものが多いのですが、校正しようとしたら、文のつながりが変であったり、誤解されるような言い方であったりすることが多いと思います。そのときの対話では、聞き流すということや、語尾が変でも内容を読み取れるのですが、それを文字化すると意味が通じなくなることも多いはずです。
これを藤井さんは、「リアルタイムでの情報伝達には、文字化したときに抜け落ちてしまうような、同時性に依拠したなんらかの時系列情報が含まれている可能性があるようです。」と書いています。子どもに注意するときでも、後になって「あの時は悪かった!」と言っても、悪かったことを理解するのが困難でしょう。できるだけ、リアルタイムで注意をしてあげた方がいいのかもしれません。
このように「間」を普段から意識して子どもと接することは少ないかもしれません。しかし、「間」を意識することで、もっと良いコミュニケーションがはかれるかもしれません。ご家庭でも挑戦して見てください。
「間の取り方」
2017.04.15