伝統行事

七五三

2013.10.31

    最近、各クラスをのぞいて見ていると七五三の千歳あめ入れを作っています。0・1歳児はなぐり書きをしたもの、2歳児はハサミを使って簡単なものを切ってはり、幼児ではきれいなお花を切り取り貼ったものでした。どのクラスもとてもかわいらしく仕上がっていました。これらの物は来月15日に千歳あめを入れてご家庭に配るのですが、先日役員会でこのような事を言われたことを思い出しました。「毎年食べなくて余ってしまうので、なくしても良いのでは…」「乳児は食べられないのでいらない」等です。
   その時私は、このようにお答えしました。「今、行事や伝統文化を伝承するのは保育園や幼稚園・小学校だけになってきています。そのような中で、七五三を祝うことは、ただの通過儀礼ではなく、『今まで無事に育ち、これからも長生きするように』と言う願いがこめられています。そのような理由があるのでこれからも続けていきたい。」と伝えました。
    今、日本は世界で1・2位を争うほどの長寿国です。この裏には乳幼児の死亡率の低さがあります。衛生面や医療の発展により、乳幼児のうちに亡くなってしまうことはとても少なくなりました。死なないのが当たり前と思っている人がほとんどなのではないでしょうか。しかし、死亡率を低くしている裏には、多くの人の血のにじむような努力があります。そう思うと子ども達が元気に育っていくのは当たり前ではないのですね。どうかこの機会に、お子様と一緒に千歳あめをなめながら、日頃忘れてしまっている、我が子の成長と多くの人々の努力に対する感謝の気持ちを思い出してみましょう。              

(おたよりの続き)
 先日、かわい着物を着た女の子を見かけました。きっと七五三の写真を撮った帰りなのでしょう。七五三は、一般に3歳、5歳、7歳の子どもの成長を祝い、宮参りをする習俗です。もともとは、幼児期の通過儀礼としては公家や武家の社会で行われていたもので、3歳の女児が、そっていた髪をのばす髪置(かみおき)、5歳の男児が、はじめて袴をつける着袴(ちゃっこ)、7歳の女児が、着物の付け紐をやめて帯をむすぶ帯解(おびとき)として、江戸中期以降に見られるものでした。それ以前は、特に男女別や年齢は確定していなかったようです。また、各地には、幼児期の成長に節目をもうけて氏神へまいる習俗がありました。七五三がひろまったのは、江戸をはじめとする大都市で、縁者や近所にくばる千歳飴も、江戸中期には登場しています。では、どうして11月15日になったのでしょうか。旧暦の15日は、かつて鬼が出歩かない日である二十八宿の鬼宿日に当っているのです。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その11月の鬼宿日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子どもの成長を感謝し、加護を祈るようになりました。明治になって、暦が新暦になってからは11月15日に行われるようになりました。現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土日・祝日に行なうことも多くなっていますが、本当は15日でないと鬼が出歩いてしまうようです。かわいいわが子を見ながら、元気に育ったことに感謝をし、みんなでお祝い出来ると良いですね。

11月15日ごろ二十八宿について載せます。

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