食育

「食育と食養」

2014.07.31

  6月の終わりに、園庭に「木月屋台」が出現しました。これは食育活動の一環で、園庭で育てたナスやピーマンを屋台のホットプレートで焼いて、子ども達に配るということをしました。第1回はピーマンでした。実施前は、多くの子ども達が苦手なピーマンなので、「たくさん焼かない方が良いかな?!」とか「誰も来なかったら・・・?」等半信半疑での実施でしたが、ふたを開けてみると大盛況でした。次から次へと列が出来て、用意したピーマン(収穫したものはわずかなので買い足してあります(^^))がどんどんなくなっていきました。特にピーマン嫌いな子や、普段お野菜をあまり食べない子どもも、始めはおっかなびっくりでしたが、食べ終わった後に一言「おかわり」。第2回に実施したナスの屋台も同様に大盛況でした。(^^)V
 乳幼児期は身体の基礎を作る大切な時期です。また、味覚の発達も小さいうちからの経験がとても大切です。子どもたちは小さなきっかけから、日々成長していきます。多くの経験を通して、多くの学びに繋げていきたいと思います。rimg0904

(おたよりの続き)
 現在、世界ではそれぞれの国で食育の取り組みが行われていますが、日本で2005年に成立した、国家レベルで食の改善をテーマに掲げた法律「食育基本法」は、世界に先がけて作られています。その法律をつくった動機の一つに、現在、国民の医療費が国家予算の約3分の1にあたる30兆円となったからで、これを減少させるためには、人々の「健康に寄与する食」を供給するという食本来の役割が重要になってくるからです。日本には、古くから「体育・智育・才育は即ち食育なり」と食育を提唱し、「食育食養」を国民に普及することに努めた人がいました。彼は、栄養学がまだ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食同源としての食養を提唱しました。それが、食養学という学問です。食養とは、食物プラス修養、すなわち「環境・食物・人間一体論」という意味であるので、それは「食養道」ともいえるものでした。
 この食養を提唱したのが、嘉永4年(1851年)に福井県生まれた「石塚 左玄」という人です。日本陸軍薬剤監であった石塚左玄は、ミネラルという微量栄養素の重要性さを、明治時代に欧米に先駆けて世に訴えた先覚者だったのです。当時は、わが国の医学者・栄養学者たちは、欧米の医学界と栄養学会を崇拝していました。欧米では、ミネラルバランスよりも、3大栄養素である炭水化物・タンパク質・脂肪とカロリーが論議の的だったのです。ですから、石塚の提唱を日本の医学界と政府は、特に取り上げもしませんでした。その結果、それまで、病気の少なかったわが国は、さまざまな難病・奇病が発生し、多くの国民が病人か半病人となったほどでした。石塚は、「食は病をつくり病を治す」ということで、食養の基本のひとつは、ミネラルバランスにあるとしました。マグネシウム、カルシウム、鉄、亜鉛、マンガンなど、いろいろあるミネラルの中から、ナトリウムとカリウムの二つのミネラルを取り上げて、ナトリウム1対カリウム5という均衡が大切であると説いたのです。
 食事と病は重要だという事が江戸時代から分かっていたことに驚きですね。
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体をつくり、心をつくる食事について8月13日ごろ載せます。

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