乳幼児教育

江戸時代のいたずら

2011.01.15

 子どもは、目を離すと「いたずら」をします。このいたずらは、子どもの成長に欠かせないものもありますが、困ることも多くあります。たとえば、おもちゃの車を押したり、動かしたりするのはいいのですが、大切な、高価な焼き物を押したりしては困ります。また、困るのが大人であったり、周りの子どもであったりします。困るのが大人である場合の多くは、大人の価値観で判断したり、大人と子どもの世界のギャップであることが多いのですが、周りの子どもが困っているときには気をつけなければなりません。
 「江戸の躾と子育て」(中江克己著 祥伝社)の最後の章は「いたずらの仕置」が書かれてあります。江戸時代に限らないでしょうが、なにしろ子どもたちはいたずらが好きだったようです。子どものいたずら好きはいつの時代でも変わりがないのですが、この本を読むと、少子化を迎えた今ほど子どものいたずらが少ない時代がないように思えます。一人ひとりの子どもに目が届き、口が届き、手が届くからです。いわゆる子ども時代での「わるさ」をすることが少ないために、その限度を知らない子が増えているように感じますし、子どものころに経験がないために大きくなって、手がつけられなくなってから悪質ともいえるいたずらをしてしまうこともあるような気がします。
 江戸時代の子どものいたずらは、浮世絵に多く描かれているようです。また、歌川国芳による「莟花江戸子数語録」という絵すごろくは、ふりだしから順に、各マスに子どものいたずらが書かれてあるそうです。その中には悪質なものもあり、途中で大目玉を食らったり、「仕つけ」といういたずら直しがあるようです。いたずらを繰り返し、ひどいいたずらは大人から大目玉を食らったり、仕付けられたりして、このすごろくの上がりは、甕に落ちた子どもを、甕を割って助けたという北宋の政治家で学者の司馬光の幼いころの逸話が書かれてあるようです。いたずらを繰り返すことによって、人を助けるようになるというのです。
 子どものいたずらは街の中だけでなく、寺子屋でもひどかったようです。現在残っている寺子屋を描いた絵のほとんどの子どもたちは、あちこちを向き、顔に墨を塗ったり、障子に落書きをしたり、庭の柿を食べたり、好き放題ですが、おおむね、師匠は知らん顔です。しかし、それでも師匠に怒られたり、罰せられたりすることはあったようです。「江戸の躾と子育て」の本には、「それは行いが悪く、他人に妨害を加える場合とか、怠惰で勉強が遅れている場合、喧嘩やいい争う場合、他人をだましたり、盗んだりした場合などである。これらはすべて、社会生活を営む上でしてはならないことであり、子どもたちが身につけるべき社会性を喚起させようとしているわけだ。」と書かれてあります。あくまでも、寺子屋での教育は、知識を得るというよりも、社会に出る時の知恵をと規範を学ぶところだったようです。
 保育園では、子どもたちは当番活動をしていますが、江戸時代に面白い当番があったようです。それは、悪さをした子が厳しく咎められるたびに、その子に変わって師匠に謝る「あやまり役」という当番です。これは各地にあったようで、地域によっては「止役」ともいうところもあったようです。この役は、同じ寺子屋に通う子どもである場合だけでなく、地域の老人、師匠の妻、子どもの親などがなる場合もあったらしく、建前上あとに引けない師匠の身としては、この役の存在は助かったようです。「江戸の…」の本の中では、「あやまり役の顔を立てて許してやる」と言って解決したのは、いかにも日本的な調整法だと言っています。園では自分で起こした問題は自分たちで解決できるようにと、いよいよピーステーブルが設置されました。相手の話を聞いて、自分の意見を言うのがルールです。「いたずら」をしても、人に迷惑をかけない子になってもらいたいと思います。

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