生物は、多様であることによって、地球の健全な生態系を維持してきました。この生物というものは、どんなものであろうか、どのような本質を持っているかということについて柳田敏雄氏が、とても興味深いコメントをしていました。それは、「“いいかげん”に潜む真理 ふらつく脳 創造の源」という標題がついています。
現代社会は、電車や飛行機など乗り物はきちんと秒刻みで運行されています。銀行などで1円の違いも許されないのと同じように、私たちが行っている保育のように、いくら人間相手の仕事でも少しのミスも許されないかのように緊張して仕事をしています。間違いに対して人はどうも寛容ではなくなってきたように思います。また、待たせられることに対してもイライラします。美味しいものを食べるために並んで待つとか、バーゲン品を買うために長い時間並ぶことは平気でも、何かを処理しようとするときには、無駄なくてきぱきと行うことが望まれます。また、何かを決める時にぐずぐずしていると、優柔不断だと注意されます。
40年ほど前に花形の半導体分野というデジタル発想が重視される世界から、あえてそれを捨て、日の当たらぬ生物分野に転じた異色の研究者、柳田敏雄氏は、「いいかげん」こそ生き物の本質であると説いています。「いまの世の中では『ぶれる』とか『ふらつく』とか『優柔不断』というと、マイナスイメージでしかとらえられません。でも、ぶれる、ふらつく、というのは悪いことではない。生き物の根源的な特性です。炎の揺らぎや、木の葉の揺らぎ、金魚などの泳ぎの揺らぎなど自然界にある揺らぎは、規則を持って動いていないために、人を癒します。なぜかというと、「筋肉など生き物の組織を分子レベルで調べてみると、動きはふらふらしていて、どっちへ動いているのか分からない。じっと目を凝らせば、ある方向にかすかに動いているのが分かりますが、整然と動いているわけではありません」と柳田さんが言うように、もともと人間はその揺らぎによってできているのかもしれません。「ふらふらしてあいまいなのを『ゆらぎ』と言いますが、この現象は細胞も脳も同じ。ふらふらしていると優柔不断に見えるし、決断も遅いように見えます。でも外部の状況、環境を取り込んで動くにはふらふらしているのがいい」と言っています。
どうも、生き物は自らが試行錯誤して神経系など生体システムをつくり、動く生き物のようです。「人間の行動もふらふらしています。無意識のうろつき、例えばあちこちに立ち寄るような動きを天上から眺めてみると、大腸菌のふらつきにそっくりです。僕らは意識とか思考とかのプロセスが、分子や化学反応とはかけ離れた高次な反応と思っているけれど、生命現象から言うと、ふらつきやゆらぎの世界の話にすぎないのです。ふらふらしていてあいまいと言うと『いいかげん』なように見えますが、これこそが生き物の本質なのです」また、いろいろなことがひらめく人は、脳がふらついているからだそうです。「創造性も脳がふらついていいかげんだから生まれる。間違って現実と異なる答えを思い浮かべ、妄想のように膨らむ。それが創造性でしょう。いいかげんだからこそ同じものを見てもとらえ方が違ってくる。そこが人間の面白さです」
そんなことから、彼は学生にこんな提案をします。「一つのことに固執しないで世の中をいろいろ楽しく見ようよ。そんな精神です。了見狭く一つのところにこもらずにふらふらしよう。」そして、「日本ではいま、間違ってはいけないという発想が強すぎます。間違って当たり前という考え方があってもいい。いいかげんな人間が市民権を得る社会構造も必要だと思いますよ」
まさに、遊び心が創造性を生み、個性を作り、変化に対応できる力をはぐくむのかもしれません。
いいかげんが良い加減・・・?
2012.07.13