アルフィー・コーンは、「これをすれば、あれをあげるよ」という行動は、すべて人間操縦という側面をもっているといいます。「肩をもんでくれたら、お小遣いをあげるよ」といういいことへのご褒美を、「これ以上ちょろちょろ走り回って仕事の邪魔をすると、怒るよ」という罰の脅しとどう違うのかということを問うています。彼は、たしかに、怒るよりは褒める方が気持ちはいいことは確かですが、それでも、両方とも、子どもの行動をコントロールしようとする点では同じだといいます。
もう一つの意味合いは、報酬を通じての働きかけは、できたら自分も報酬にありつきたいと思っていたのに、それをもらえないひとを生み出すということにあると言います。このことが、実際上、罰と変わらない効果をもつというのです。ある事柄について、褒められる生徒がいるということは、ほかに褒められない生徒がいるということになるというのです。
「これをすれば、あれをあげるよ」と言われるのは、そのまま紙一重で、「これをしないと、あれはあげないから」と言われるのと同じ状況を作り出すのです。このように、報酬そのものがコントロールにつながり、外からの報酬のせいで、ひとによっては自由がなくなり他のひとのいうままになってしまうと言います。
コーンは、褒める代わりに、子どもが達成したことに、簡潔で、評価を含まない意見を言ってあげることを推奨しています。例えば、人工的で機械的な称賛と、真の激励との違いをこのように示しています。
ある子が、発芽用のビンを覗き込んで「私の芽に葉っぱがついている!」叫びました。その時に機械的な称賛とは、「かしこいね」ということであり、真の激励では、「きちんと観察して新しい成長の様子を見つけたね」と言うことです。また、ある子がはかりのおもりがつり合ったので、大喜びをしているときに、「よくできたね」という言葉がけは、機械的な称賛にあたり、真の激励では、「両側がつり合うと気持ちいいね」と言うこととしています。こんな事例もあります。ある子が昨日行った光を曲げる実験を家で新しい方法で試したところ成功しました。そのことを聞いた教師は、「天才科学者だね!」と言うのは、機械的な称賛で、真の激励は、「新しい方法を見つけたなんてすごい。もっと教えて」と言うことだとしています。
褒めることへの疑問と、もう一つ最近、疑問視されていることがあります。それは、子どもの能力を高めるために、子どもの自尊心を人為的に高めようとする学校のやり方です。社会心理学者は、このような試みが予期しない負の結果を生み出すことを見出しているそうです。その一人が、以前のブログで連載したマーティン・セリグマンです。彼は、子どもの気分をよくするために、実際の成果にかかわらず大げさな称賛をすると、逆に自尊心を損ね、学習内容の習得を困難にすると言っています。そして、自尊心の発達についての誤った理解は、若者のうつ病の増加とも関連していると指摘したのです。現実には、自尊心は成功の副産物なのであり、その逆ではないというのです。
子どもが本当に褒めて欲しい時には、大人が忙しくてそれが出来ず、そうでない時には必要ではない言葉をかけているのかなと思う時があります。子育てのコツは褒め方を学ぶことなのかもかしれませんね。
「報酬と罰」
2015.12.12