乳児期の言語の獲得の経緯を理解し、適切な接し方を擦ることは、とても重要なことです。ではどのような関わりが必要なのでしょう。
例えば、子どもはあらゆる種類の協調活動で新しい語を学ぶことができるようになります。トマセロは、大人と18ヶ月の幼児に、探しゲームをさせてみました。このゲームではある時点で大人が「トーマを見つける」という意図を表明します。それから1列に置かれているバケツにそれぞれ目新しい物が入っているのを一つずつ調べていき、もし探しているものと違う場合には顔をしかめて別のバケツに行くようにします。そして、しまいに探している物を見つけます。それは、ほほえんで探すのを終わりにすることで見つかったことがわかるようにします。途中でどんなに多くの該当しない物が介在していても、子どもは大人のほほえみが示している物体に対して、「トーマ」という語を学ぶことになります。したがって、単に時空間上の近接性に基づいて語と物体を結びつけているのではないことになるとトマセロは言います。
さらに、彼らが同じようなゲームをしてみたところ、18ヶ月の幼児はこれまで一度も見たことがない物であっても、大人の意図している指示対象物を理解できたのです。それが、大人が入ろうとしているおもちゃの納屋の中にあると分かっている物だったからです。こういった状況で新しい語を学ぶために、子どもは基本的に大人と一緒にやっている探しゲームの志向的構造を理解して、大人の行為について実践的推論、さらに言えば協力的推論をしなければならなかったのです。
この経緯が、トマセロが主張している言語獲得の場合、子どもは必要とされる共通基盤を達成する方法は、他者との協調的やり取りにおいてであるというものです。この方法は、トップダウンで共同注意を生じるというものでしたが、もう一つの共通基盤を達成するための方法は、ボトムアップであると言います。例えば、父親と子どもが公園で散歩していると、奇妙な動物が現れ、父親はその名前を言うとします。そうすると、幼児はこういう状況を見て自己を中心に考えて、自分にとって目立つ物の名前だと受け取って、この動物の名前を学ぶのだろうと思う人が多いかもしれませんが、トマセロは、実際は違うと言います。発達のかなり早い段階から、幼児は大人が新たな言葉を使う際に、大人が自分の注意している対象に注意を向けるよう、子どもに対して誘っていることを理解していると言います。
これは、ボールドウィンが研究しています。彼はこんなことをしてみました、18ヶ月の幼児がある物体に注意するまで待って、それから別の物体を見てその名前を言ってみました。すると、子どもはすでに注意していたものではなく、大人が注意を向けるように誘っている物の名前としてその後を学んだのです。
この実例から見ても、ピアジェが主張した「幼児は、もっぱら自己を中心に据えた視点から外界に働きかけ、視点を変えたり、視点と視点の関係をとらえたりすることのできない」と言った「自己中心性」とか、ウェルナーが「相貌的知覚」と命名した、「幼児は具体的な対象や状況と結び付けてしか、ものを考えることができない。例えば、幼児にとって“ワンワン”という概念は、自分の家で飼っているポチや、友だちが飼っているタロウのことであり、イヌ一般を言うのではない。」といった考え方に疑問を持ちます。幼児は、さまざまなことを、他者との協調的やり取りにおいて学んでいくと思うのです。
トマセロはこれらの理論的考察と経験的な発見は、いずれも同じ結論を示唆していると言います。幼児は、自己中心的に、恣意的(しいてきー論理的な必然性がなく思い付きで物事を判断するさま)な音声と繰り返し怒る経験を単に結びつけたり、あるいは、写像したりすることによって、初期の言語的慣習を学んでいるのではない、ということであると言っています。
人間は、「協力すること」を遺伝子として受け継いできたと言われていますが、幼いうちから他者を理解し、他者と共同基盤を作ろうとすることを前提として、成長しているように思います。そう考えるだけで、子ども達の成長は神秘的ですね。これからも子ども達一人一人の成長をしっかりと見ていきたいと思います。
「どうやって言葉を獲得するの?」
2016.09.15