子どもの権利条約の中でよく問題になるのが第12条です。しかし、私は、この条文こそ、今の育児、保育、教育の問題が含まれているような気がしています。特に、日本では、子どもは大人の奴隷とまではいきませんが、大人の言うことを聞いていればいいのだという考えが強いために、この条文の実践が遅れている気がします。この条文は、「意見を表明する権利」ということで、原文にはこう書かれてあります。「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」簡単に言うと、「子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、十分考慮されなければなりません。」ということになります。
このような条文をふまえて、保育がどの様になるのかということを、白梅学園大学の学長である汐見稔幸先生が、講演の中で、イギリスでの保育を例に挙げています。
「今日は公園に散歩に行くよ」と先生が言う。「花が咲いていてきれいだから、それを見に行こうね」と言った後、日本だったら「はい、並んで、手をつないで2列になって」とするのですが、イギリスの場合は違います。「Aちゃん、行く?Bちゃん、行く?」と、一人ひとりに聞いて、そして「行く」と選んだ子しか連れて行きません。要するに、いろいろなメニューを用意しているが、参加するかどうかはあなたが決めることですよ。つまり子どもの意見を表明させて、それを尊重しながら進めていくのです。
これは、イギリスの特殊な保育を例に出しているのではなく、子どもの権利条約に沿った保育をするとそうなるということなのです。2002年に「欧州評議会閣僚委員会で採択された勧告でも、この12条の中心的重要性を考慮に入れることが示されています。そこには、幼児施設の質の高さが示されています。
「良質な保育園、幼稚園は、子どもの社会的、情緒的、知的および身体的発達を促進することに役立つこと、子どもが自分にかかわる事項についての意見を聴いてもらえる可能性を生み出し、かつ意思決定の過程で子どもの意見が考慮されることを確保すること、コミュニティのつながりを維持すること、予防及び保護のための役割を果たしうること」とあります。意思決定に子どもの意見が考慮することは園の質の高さなのです。反対に教師の指示型、一斉に同じことをやらせることは、これからの教育では質が低いとされてしまうのです。これは、寛容及び平等の精神のもとで子どもが民主的社会に参加し、かつそこで責任のある生活を送るための準備を出来るようにすることが含まれていることを考慮に入れると言っています。
ここに言うように、子どもの意見の表明権は、責任を教えるためでもあるのです。汐見氏は「人間というのは自分で決めたことをやらない限り責任をとるということができないのです。」と言っています。少し前に「自己責任」という言葉がはやりました。今の若者は、自己責任を取らないということですが、それは決して若者のせいではなく、子どもに選択させず、言ったことをやらせてきた教育に問題があるのではないでしょうか。
自分で決めることの意味・・・?
2011.02.15