木月保育園のブログ「小さなもみじの物語」

「母親という存在」(1歳児あひる組編)

2016.05.14

 園生活にも少しずつ慣れ始めた子どもたち。あひる組の子どもたちは慣らし保育も無事に終え徐々に新しい保育園での生活へと進もうとしています。しかし、まだ登園の際や降園の際など保護者の姿が例え自分の両親でなくても目に入るだけで泣いてしまったり、他児の泣き声に釣られて泣いてしまうことがあります。
 ある日のことです。Aちゃんがお母さんの下から自然と離れて私の下へ抱っこをしてもらいにきて、抱っこされたAちゃんは元気に母親とタッチをしてお別れをしました。別れた後、私の下を離れて自分で好きな遊びをしたり、他児の遊びを見て、まるで自分も参加しているかのように楽しそうなAちゃん。そんな中、一人の子が登園してきました。Bちゃんです。Bちゃんは大好きな母親と別れるのが嫌で、離れると大号泣。どんな遊びや歌を唄っても母親との別れにはかないません。おんぶをするとやっと落ち着きます。すると今度はBちゃんの姿を見ていたAちゃんがさっきまで遊んでいたのにも関わらず急に扉の方に向かって泣き出したのです。どうやらAちゃんはBちゃんの姿を見て自分を母親が恋しくなったようでした。慣れたかと思えば泣き、泣いたかと思えば笑顔で過ごし、このような繰り返しをしていくうちに少しずつ環境や友だち、保育士に慣れていくのです。
 子どもにとっての母親はとてもかけがえのない存在です。子どもは母親のお腹の中で10ヶ月間育ち、その時に母親の鼓動や匂い、または声に包まれて育つからです。子どもは生まれてからも母親という存在を本能で記憶して、また母乳や日々の生活の中での温もりや愛情を通じて自分の命を育んでいきます。つまり母親というのは子どもにとってなくてはならない存在なのです。
 私たち保育士は母親にはなれませんが安心して遊んでいられる環境をつくることができます。私たちは子どもたちが安心して過ごせる場を提供し、楽しく健やかに育てるように創意工夫をして保育を行っています。まだ今年度始まったばかりですがどうか暖かな目で今後ともよろしくお願いします。

 

岡本万太郎

top