「学ぶ」の語源が何かを皆さんご存知でしょうか。「学ぶ」とはその昔「真似ぶ」という言葉だったそうで、それが変化していって「学ぶ」になったといわれています。(諸説あり) 子どもたちは何かの真似を通して経験したことを学んでいるのです。
クラスの子どもたちの姿を見るとそのことを実感する場面に出会います。ある日のお部屋あそびでのことです。子どもたちに新しく出した洗濯バサミのおもちゃがあったのですが、いまだ遊びこんでいる様子が見られなかったので、円形になるように並べて遊んでいました。それが完成した時にR君が「せんせい、それちょうだい」と言って指さしてきました。「どうぞ」と言って作ったものを渡すと、他のお友だちに見せていました。他のお友だちも「せんせーあれ作って」と言って求めてきたので、残っている部品で作れる数だけ作りました。子どもたちはそれを順番に使ったり、お皿や花火に見立てて遊んだりしていました。翌日。R君が黙々と前日に作ったものを自分一人で作っていました。洗濯バサミの向きによってカッチリはまるものとうまくかみ合わないものとあり、実は細かく難しいものだったのですが、前日に見た姿を真似して自分で物の違いに気が付きすぐに作れるようになったのでした。それからは自分で同じものを何度も作ったり、お友だちに作ってあげたりして遊んでいました。
また別の日には鉄棒がブームのSちゃんが得意の足抜きおしり抜きをして遊んでいました。鉄棒の握り方がきちんと握れていない子が多いので、鉄棒のそばで「こう握るんだよ」と声をかけていると、ある日Sちゃんが他のお友だちに「ちゃんと握らないと危ないよ」「こうやるんだよ」とお友だち同士で声をかけあっていました。
真似ぶということを言いだしたのは能楽師の世阿弥だともいわれています。世阿弥は新しいことを学ぶときには、徹底的に良いものを真似することを勧めたそうです。良いものを真似することで本質がいつの間にか身についてくるという考えだそうです。子どもたちも同じで、良いか悪いかの判断はまだつかないものの、真似をしたい、あれがしてみたいという思いから、真似をして、徹底的に繰り返していく。すると、いつの間にかそれが身につき本質まで理解していく。出来た喜びからさらに新しいことを繰り返し真似ていく。この先も、子どもたちは何かの真似をして学んでいき、子どもたちの中にそれが染みついていく。そこから自分のイマジネーションが新しいことを生んでいき、それを更に良いものにしていく。
来月から少しずつりす組のお友だちも幼児組で過ごし始めます。真似したくなるような新しい刺激がどんどん増えていきます。私自身も子どもたちにとっていい刺激として真似される保育士でありたいなと思いました。
一柳 翔平